稲盛和夫さんという方をご存知でしょうか?
最近では、日本航空を再建させた人として、ニュースで見たという人もいるでしょう。
2010年1月19日、経営危機に陥っていた日本航空は会社更生法の適用を申請し、倒産しました。その後、2009年の12月頃から、政府と企業再生支援機構のほうからJALの再建を会長として引き受けてくれないか、という依頼を受けていた稲盛さんが再建に奮闘しそれから3年も経たない2012年9月19日に、過去最速のスピードでJALは再上場を果たしたのです。
会計の分野では、部門ごとに管理をするアメーバ経営が有名で、それまで「どんぶり勘定」であったJALにアメーバ経営を導入し、みごとに成果をあげているそうです。
そうまさしく、稲盛和夫さんは「企業会計を道具」として使いこなしたわけです。
しかし、このような稲盛さんの半生を振り返ると、貧困と病気、そして度重なる挫折の連続だったというから驚きです。
稲盛和夫は昭和七年一月、鹿児島市内の小さな印刷業者の次男に生まれました。兄弟は七人。
尋常小学校高等科一年で終戦を迎えますが、鹿児島の街全体が激しい空襲に晒され、和夫少年の自宅店舗も焼失。一家は貧乏のどん底に突き落とされました。
しかもこの年、結核に冒され、死線をさまよう恐怖も味わっています。
その後、何とか結核から回復し、さあこれからだと希望を持ったものの、志望した中学の受験には2度失敗。大学も第一志望の大阪大学医学部を失敗し、不本意ながらも地元の鹿児島大学工学部に進み、応用化学を専攻することになります。
大学を優秀な成績で卒業しますが、有力企業は地方大学に冷たかった時代であり、東京の大手石油会社をはじめ、ことごとく振られることになったのでした。
このとき、自暴自棄になり、「強いインテリヤクザにでもなろうか」と考え方こともあったそうです。
以上のような半生を振り返ってみると、稲盛さんの人生は今のようには順調で
はなく、挫折と苦難に見舞われていたようです。
ですが、京セラを国際的大企業に育て上げ、JALの再建を果たせたのも、この苦難の時期があったからだと思います。
たとえ受験に失敗してもめげず、諦めず、自分を信じる道を進んだ。
そのお陰で今があるのだと思います。
そして、このことはビジネスに携わる人達全員にいえることではないでしょうか。
ビジネスは決して楽しいことばかりではないかもしれません。時には苦しんだり、落ち込んだり、色々と起こることもあります。
特に、大変な努力をしたにも関わらず、結果がついてこなかったときはなおさらです。
ですが、その苦労にも必ず意味があると思います。
大した苦労を知らず、人生を順風満帆に来た人が、資金繰り等で苦しんでいる社長さんの苦しみを分かるはずもありません。
やはり、同じように壁にぶつかり、挫折を味わうことで苦しみの分かる人が、本当に頼られ、尊敬されるビジネスパーソンになるかと思います。
私自身も、稲盛さんに習い、そして、このことを胸に秘め、日々精進していこうと誓うこの頃です。