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国境を超えた投資やビジネスに必要なインフラとは

国境を超えた投資やビジネスがインターネットの出現により、相当ハードルが下がり、企業だけでなく個人でも行えるように近年なりましたね。

その際に、絶対に欠かせないインフラがあります。

それは、国境を超えて国際間の比較ができるビジネス情報の収集です。

これなくして、適切な意思決定などできませんよね?

この国境を超えて国際間の比較ができるビジネス情報として、代表例に挙げられるものが「財務諸表」です。

今回は、この財務諸表を作成する企業会計について、その「グローバル・スタンダード」について前回に引き続き書きたいと思います。

ビジネスの世界でグローバルな競争を行う場合、競争のルールを守らなければならないのは当然です。

国際法と呼ばれる経済法規や独占禁止法などの法律上のルールがその例でしょう。

しかし、競争上のルールはそれだけではありません。銀行がグローバルな活動をする際に守らなければならないBIS規制もその1つです。

国際業務を行う銀行が維持すべき自己資本比率を定めたのが最初で1988年に基準が公表されました。こうしたBIS規制だけでなく、ISO(国際標準化機構)で決められる各種の規格や、欧州の廃物規制、資格制度の統一なども、グローバルな競争をするうえでのルールです。

そんなグローバル・スタンダードの中で、広く企業に関係し、重要性の高いものが「会計基準」です。その会計基準がどう決まるかには、各国ごとの利害得失が絡んできます。

このため、基準作りのヘゲモニー(主導的地位)を握るかどうかが、グローバル化する経済体制にあって、国益や自国企業の利益を大きく左右することになるわけです。

しかし、長い間、日本にはこうした会計基準の重要性を認識する経済人や当局者、政治家はいませんでした。会計基準は会社を測るモノサシで、そのモノサシが違えば、会社の成績ばかりか、日本の経済力もまったく違って見えてしまいます。

 

1980年代、日本人の多くが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というエズラ・ヴォ―ゲルのベストセラーのタイトルを鵜呑みにし、「日本企業は世界最強」という幻想に酔っていました。

ところが90年代初頭のバブル崩壊でその確信は吹き飛びました。以降はご存じのとおり、日本企業は収益力の低下に苦しみ、巨額の不良資産と負債を抱え経営者はことごとく自信を失い、「なぜ、あれほど強かった日本企業がわずか10年余で惨憺たるありさまに陥ったのか」と多くの日本人が首を傾げたのでした。しかし、ここで根本的な疑問に突き当たります。

 

それは-本当に日本企業は強かったのだろうか?-ということです。

 

日本企業が世界各国の企業に比べて「本当に強かったかどうか」を測るには、強さを測るモノサシが同じものでなければならないはずです。では、バブル期の日本企業は、海外と同じモノサシ=会計基準で、その強さを測られていたのでしょうか?

実は、日本企業が強かったとされた80年代後半には、すでに海外から「日本企業が使っているモノサシ=会計基準は狂っているのではないか?」という指摘は出ていたのです。

インターネットの出現などにより、もはや金融や株式を中心に経済は完全に国境を越え、グローバル化しています。

ならば日本も含め世界中の企業を公正に比較できるひとつのモノサシ、すなわち「国際基準」を作るべきではないのか-。そんな声が国際社会から湧き上がり、世界統一のモノサシが登場してきたのでした。それが銀行の体力を測るBIS基準であり、1998年に主要基準が完成した国際会計基準IAS(国際財務報告基準の前身)なのです。

そして、国際基準を受け入れる過程で、日本のモノサシはやはり狂っていた、という現実に日本企業は直面することになります。

BIS基準はバブル崩壊以降、日本の銀行を奈落の底に突き落とし、日本の会計を国際会計基準に近づける会計の国際化は、日本企業に巨額の損失計上を迫りました。バブルの崩壊、その後の不良債権問題、金融不安など、日本経済の歯車が狂った根本に、会計のウソがあったといえるのです。

 

【会計は強さを測るモノサシ】

会計と聞いて日本人の多くがまず思い浮かべるのは、大学や専門学校で習う簿記ではないでしょうか。辛気臭い経理処理や飲食店での勘定の精算、同好会の活動資金の管理などを思い浮かべる人もいるかもしれません。

確かに、そうしたお金の処理も会計の一部ですが、グローバル化した資本主義経済の中での会計は、もっと大きな意味を持ちます。会計(アカウンティング)とは、企業の実態を正しく第三者に示す一連の仕組みであり、アカウンティングの派生語のアカウンタビリティが「説明責任」と訳されることが、それを端的に示しています。

会計は企業の強さを測るモノサシです。売上の数字も利益の数字も、会計基準があって初めてはじき出すことができます。

会計がなければ、各種コストの算定も資産価値の評価もできません。「会計なくして経営なし」それほど会計は企業にとって重要なものなのです。

しかし、どういうルールで帳簿に記載するのか、つまり会計基準は、各国・地域ごとにバラバラでした。ところが20世紀末になって経済のグローバル化の進展により、お金が国境を越えて動き回るようになり、90年代の冷戦終結や規制緩和の進展で、資本市場が拡大し、資金の出し手である投資家も年金基金や保険会社といった機関投資家へと主役が交代しました。

 

この機関投資家は、一か八かの投機ではなく、世界中の企業を詳細に分析し、リスクを減らすために地域分散して投資をします。このため、各国企業の強さを比較する必要性が出てきたわけです。

このときに大きな問題となったのが、企業の強さを測るモノサシである「会計基準の違いが大きすぎる」ということでした。つまり、モノサシが各国によって異なっているため、国際的に企業を比較することが難しく、この問題によって、会計基準の統一化という動きへと繋がったのです。

このような統一化の中で、「日本企業は本当に強いのか」という欧米勢の疑問は正しいものであったことが明らかになってきました。

日本企業が実力以上に強く見えたのは、モノサシが違っていたからです。

「含み経営」と呼ばれ、日本企業の慣行になっていた会計処理への姿勢は、結局は損失を先送りにし、利益を先食いするものだったのです。

含み益を許した日本のモノサシは、世界のモノサシと大きく違っていた-このことが、会計の国際化で一気に露わになったのでした・・・。

そうなると・・この「モノサシ」について何を使うかにより、実力が変わってきますね。

だからこそ、「会計基準作成」の主導権争いは国際間で引き起こっているのです。

ビジネスゲームでも、会計処理をやってもらい、財務諸表を作成していただきますが、実はあの会計処理の裏側には、このような主導権争いが今も起こっているのです。

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